宗像大社特別展
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彫唐津木賊文ぐい呑
horikaratsutokusamonguinomi
窯:飯胴甕下窯・制作年:16世紀
高さ/cm:5.4・径/cm:7.0
彫唐津の茶盌は数点存在するが、ぐい呑で確認できるものは現在この一点だけと思われる。
大きさ、色合い、高台の豪快さは飯胴甕窯のものならではで、木賊のような彫り文様も珍しい。
叩き黒唐津船徳利
tatakikurokaratsufunatokkuri
窯:田代窯・制作年:16〜17世紀
高さ/cm:22.0・径/cm:18.5
田代窯は慶長初期に福建省出身の福本弥作、岸岳陶工の中里又七、李朝陶工の大島彦右衛門の三名が開窯した窯である。叩き作りで、高台を含めた全体に福建系の柿釉がかかり、窯の燃料の松灰が降りかかって黒く発色し景色となっている。べた底高台に三カ所の砂目ある。
奥高麗茶盌 銘「かすがい」
okogoraichawan kasugai
窯:市ノ瀬高麗神窯・制作年:17世紀
高さ/cm:7.8・径/cm:15.2
青井戸形で小石混じりの土。内側にピンホールが十数カ所あり、茶渋が入って紅斑となり景色を作っている。目跡は四カ所。長石釉が柄杓でかけられ、波文様を作り、割れ目を金漆でつくろい、三個の銀製の鎹(かすがい)で留めて美しい景色を作っている。竹の節高台で兜巾がある。
奥高麗茶盌 銘「曙」
okugoraichawan akebono
窯:窯不明・制作年:16〜17世紀
高さ/cm:7.5・径/cm:14.5
桃山時代に茶人に珍重された高麗茶盌(朝鮮半島で焼かれたもの)を写して唐津で焼いたものを奥高麗と呼び熊川形の茶盌で長石釉が酸化焔焼成のため、淡赤褐色に発色している。正面口縁部近くに小さな石はぜが景色となっている。
熱い湯を入れると、釉色に赤味を増すところから「曙」という銘がついた。
絵唐津輪花薄文向付
ekaratsurinkasusukimommukozuke
窯:甕屋の谷窯・制作年:17世紀
高さ/cm:11.0・径/cm:4.5
やや鉄分のある土で轆轤水引きによる成形。口縁部を指で押して輪花としている。口縁部には鉄砂の縦線で六区割に分けている。見込み中央に薄が描かれ区割の間に草文が描かれている。摂氏1,230℃前後の酸化焔により、釉色は淡い茶褐色に発色している。
二彩唐津弐拾壱鶴松竹積雪文大皿
nisaikaratsunijuichitsurushochikusekisetsumonozara
窯:庭木窯・制作年:17世紀
高さ/cm:13.0・径/cm:53.0
鉄分の多い赤土で、直立形の高台である。老松と竹は篦で陰刻し、積雪と鶴の胴部、舞鶴は印花して白土象嵌している。松と竹の葉に銅緑絵具を塗り、老松の幹は鉄とマンガンを調合した釉を塗っている。
長石釉が高台内まで厚くかかり、1,250℃前後の酸化焔焼成している。高台及び見込みには七カ所目跡がある。
土井唐津干網千鳥文四方向付
doikaratsuhoshiamichidorimonshihomukozuke
窯:坊主町御用窯・制作年:18世紀
高さ/cm:9.8・径/cm:8.2
水簸された白土で轆轤成形後、型を使って四方形に作り、高台は轆轤削りである。高台内に兜巾がある。表の面に櫂を立て網を干す風景が、裏の面には千鳥が染付顔料で描かれている。
酸化焔焼成により黄白色に、濃い部分は青く発色している。
献上唐津手桶形鉢
kenjokaratsuteokekatahachi
窯:唐人町御茶盌窯・制作年:19世紀
高さ/cm:8.3・径/cm:19.8
水簸した白土で轆轤成形。底部は高台削りで、重広と花押が黒象嵌されている。重広は七代陶治の長男で、八代尚徳の甥である。全体に長石釉がかけられている。
献上唐津竜文風鎮
kenjokaratsuryumonfuchin
窯:唐人町御茶盌窯・制作年:19世紀
高さ/cm:5.2・径/cm:5.0
白土の上に赤土で三爪の竜を薄肉彫刻している。敬宗は八代中里尚徳の次男で、一東の弟である。天保七年(1836)御茶盌窯見習いとなり嘉永四年(1851)御用絵師、慶応三年(1867)御茶盌師頭取となった。右兵衛とも号した。
献上唐津黒呉須雲竜文大皿
kenjokaratsukurogosunryumonosara
窯:唐人町御茶盌窯・制作年:19世紀
高さ/cm:8.5・径/cm:40.5
水簸された白土で二重高台。純度の低いコバルトの含有量が少なく鉄、クローム等の不純物の多い呉須で竜と雲を描いている。唐人町御茶盌窯では、有田と違い、職人の画工ではなく唐津藩絵師が描いた。全体に長石釉がかけられ酸化焔焼成により、濃いクリーム色に発色している。
献上唐津竹梅文重箱
kenjokaratsutakeumemonjubako
窯:唐人町御茶盌窯・制作年:19世紀
高さ/cm:17.0・径/cm:19.0
十九世紀の文化•文政の時代になると、藩窯では陶板の組合せ、素焼製の土型を使って、轆轤によらない成形をするようになる。この三段組の重箱もその一つで、腰から蓋まで、藩の絵師が献上唐津特有の鉄絵具で竹と梅を描いている。全体に長石釉がかけられ酸化焔焼成により、淡いクリーム色に発色している。
献上唐津秋草文茶盌
kenjokaratsuakikusamonchawan
窯:唐人町御茶盌窯・制作年:18世紀
高さ/cm:7.0・径/cm:9.8
水簸された砂気の多い白土で高台削りに古唐津様式が残っている。直立高台で縮緬皺があり高台内に兜巾があり胴に鉄絵で野菊が描かれている。高台を除いて長石釉がかけられ、釉の濃いところは乳白色に発色している。見込みの小さな貫入には茶渋が入り景色となっている。
鶉
uzura
窯:十一代中里天祐・制作年:大正初期
高さ/cm:18.0・径/cm:20.6
粟に乗った雌雄の鶉一対である。粟の粒は型を使って表現している。
鶉の羽毛の表現も美しい。全体に錆釉を塗り、粟の葉は銅緑釉を塗っている。
柿本人麻呂
kakinomotonohitomaro
窯:十一代中里天祐・制作年:大正初期
高さ/cm:26.0・径/cm:24.5
晩年の作で眉や髭の彫りも丁寧で一糸も乱れていない。 細かい線を彫る技術はなかなか難しく、非凡の腕である。裏に「からつ天祐作」と篦彫りがある。
唐津刷毛目辰砂草花文水指
karatsuhakemeshunshasokamommizusashi
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和23年(1948)
高さ/cm:17.0・径/cm:19.0
十二代太郎右衛門が轆轤成形し忠夫(十三代太郎右衛門)が絵付けした父子合作である。口縁はひねり返しで竹の節高台。17世紀初期に朝鮮半島から伝えられた古唐津時代の辰砂を表現したものである。口縁部から高台際まで厚く白土を刷毛目し水指の表裏に酸化銅と錫を調合した絵具で草花文を描いた。李朝辰砂風の発色が見られ、絵の周辺部の発色が美しい。
彫唐津茶盌 銘「白雨」
horikaratsuchawan haku
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和42年(1967)
高さ/cm:9.0・径/cm:13.4
胎土は伊万里市藤ノ川内の白土で、まだ柔らかいうちに竹篦で×印と直線紋を彫っている。
飯洞甕下、同上窯から彫唐津茶盌が出土するが、陶片を参考に製作したものである。二重高台で、高台際まで厚く釉薬がかけられ、全体に梅花皮が出て変化を作っている。
唐津井戸茶盌 銘「花火」
karatsuidochawan hanabi
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和42年(1967)
高さ/cm:9.0・径/cm:13.4
胎土は白土で大井戸「有楽」タイプの茶碗である。全体に厚く長石釉がかかり、高台内外に梅花皮と釉はげがあって景色を作っている。
茶碗正面の梅花皮が夏の花火を想わせる。偶然にできた文様である。長石釉が使われた茶渋で赤みを帯びた灰白色に変化している。
朝鮮唐津耳付水指
chosenkaratsumimitsukimizusashi
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和50年(1975)
高さ/cm:17.8・径/cm:20.0
より紐を輪積みして轆轤水引きで成形する板起こしの技法を使っている。底部は一段と厚みをもって落ち着いた形姿をしている。胴には篦を使って草花を陰刻している。肩下に鉄飴釉を、内側と肩から上に藁灰釉をかけている。
底部に篦で「昭和五十年乙卯正月吉日 八十翁 宗白」と陰刻されている。
唐津墨流し大鉢
karatsusuminagashiohachi
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和37年(1962)
高さ/cm:15.5・径/cm:40.5
第十二回に本伝統工芸展出品作
内側に白土を化粧がけし白土がけし、白土がまだ濡れているうちに鉄を含んだ赤土をふりかけ、高台を握って左右に強く振り回し墨流しの文様を作った。外側には天目釉がかけられている。
絵唐津香合
ekaratsukogo
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和56年(1981)
高さ/cm:2.5・径/cm:5.3
第十二回に本伝統工芸展出品作
内側に白土を化粧がけし白土がけし、白土がまだ濡れているうちに鉄を含んだ赤土をふりかけ、高台を握って左右に強く振り回し墨流しの文様を作った。外側には天目釉がかけられている。
彫唐津香合
horikaratsukogo
窯:十二代中里太郎右衛門・制作年:昭和58年(1983)
高さ/cm:3.0・径/cm:7.3
第十二回に本伝統工芸展出品作
内側に白土を化粧がけし白土がけし、白土がまだ濡れているうちに鉄を含んだ赤土をふりかけ、高台を握って左右に強く振り回し墨流しの文様を作った。外側には天目釉がかけられている。
叩き唐津翡翠掻落し魚文壺
tatakikaratsuhisuikakiotoshigyomontsubo
窯:十三代中里太郎右衛門・制作年:平成10年(1998)
高さ/cm:26.8・径/cm:35.8
第三十回日展出品作。叩きの技法。唐津特有の算盤玉型。黒鯛、きす等を白象嵌、赤土象嵌し1,210℃前後で焼き締めた後、炭酸銅とソーダ灰で調合した釉をかけ900℃前後の酸化焔で焼成した。赤土象嵌の部分はとけ込んで流下し変化を作っている。
叩き清邁はんねら一重口水指
tatakichiemmaihannerahitoeguchimizusashi
窯:十三代中里太郎右衛門・制作年:昭和51年(1976)
高さ/cm:20.6・径/cm:16.0
スケッチブック
suketchibukku
窯:十三代中里太郎右衛門
作品のモチーフやアイデアとするべく、魚や草花、小禽、古陶磁、風景など様々な対象を書き綴ったスケッチを遺している。図画は被写体の特徴を的確に捉え、驚くほど緻密で生き生きとしている。旅先でも小さなスケッチブックを常に持ち歩き、ホテルに戻ってから記憶のあるうちに彩色いていた。
昭和五十一年頃から描き始めたスケッチブックは旅先用の小さなものだけでも86冊にも及び、陶房で用いていた大判のものを加えると100冊をゆうに超える。
数多くのスケッチの一つ一つから逢庵の冷静な観察眼と創作への熱い思いが感じられる。亡くなる直前まで精力的に写生を続けていた。
焼締壺'90
yakishimetsubokyuju
窯:十四代中里太郎右衛門・制作年:平成2年(1990)
高さ/cm:27.0・径/cm:61.0
第二十二回日展「特選」受賞作。粘土のより紐を積上げて叩き作りで成形している。全体に白土をスプレーで吹きつけ、酸化クロームを少量含んだ色土と酸化鉄を多量に含んだ赫土とを塗り分けて無釉焼き締めで焼成してある。酸化マンガンも土は黄味を帯びた鼠色、赫土は口の部分がかすかに赫く、他は黒く、白土は鼠色に発色している。
叩き焼締一重口水指
tatakiyakishimehitoeguchimizusashi
窯:十四代中里太郎右衛門・制作年:平成8年(1996)
高さ/cm:15.9・径/cm:19.6
備前で作った一重口の水指で、叩きによる成形である。内側に松丸太の叩き跡がある。小砂混じりの胎土で全体に星のように石粒が散らばっている。柔らかいうちに掌で押して変化をつくり、口縁部はかすかに楕円になっている。全体に松灰が振りかかり茶褐色となり振灰の少ないところは黒褐色に発色している。
唐津三彩小壺
karatsusansaikotsubo
窯:十四代中里太郎右衛門・制作年:平成29年(2017)
高さ/cm:5.6・径/cm:6.5
世界文化遺産に登録された宗像大社の依頼により大社所蔵の奈良三彩を復元し平成29年10月18日に奉納した。
沖の島から出土した奈良三彩小壺は国宝として大社の神宝館に所蔵されている。
新たな挑戦で試行錯誤の連続で、粘土、釉薬の調合を変えながら登窯での焼成を重ねていき、生地の発色や緑と黄の釉薬が豊かで美しく奈良三彩の雰囲気の再現に成功した。
叩き唐津利休鼠金色貼花文壺
tatakikaratsurikyunezumikinsaichokamontsubo
窯:十四代中里太郎右衛門・制作年:令和4年(2022)
高さ/cm:25.4・径/cm:28.8
生まれ生きる
umareikiru
窯:中里忠仁・制作年:令和3年(2021)
高さ/cm:48.8・径/cm:63.0×23.8
ふるさとの土で小さな登り窯をつくり、器を焼き上げました。
自分にとって陶芸とは、焼き上がった作品そのものというよりも、土を焼くという行為とそれを取り巻く営みすべてだと思っています。山で掘った土をこねて形作り、窯に入れて焼き固める。大昔から続けてきた自然な営みに魅力を感じます。
窯とそこから生み出された器を通して、自分を育んでくれた家族やふるさとを思いながら作りました。